2016年度には、石川県立金沢二水高等学校と、3回にわたる高大連携事業が行われました。以下では、まず、藤井直樹校長(二水高校)による高大連携事業の意義と位置づけ、次に、岡島清先生(二水高校)による一連の事業の概説、最後に、本事業に参加した3名の生徒(二水高校)の感想を記します。

 

校長ご挨拶

哲学対話による人づくり

今日、国際社会の新たな枠組が模索されるなか、将来を見通すことがむずかしくなっています。変化の速度と幅が大きく、多様な価値観が存在するグローバルな社会を生き抜くには、ふるさとの歴史や伝統・文化に立脚したアイデンティティをもち、自分の考えを、ひるむことなく明確に語れる力が必要です。

このため、本校では2017(平成28)年度の1年生から総合的な学習の時間において、ふるさと石川が生んだ西田幾多郎、鈴木大拙の哲学や、泉鏡花、室生犀星、徳田秋声の文学の足跡を辿りながら、自らの生き方について考え、人としての基盤(体幹)を鍛える取組をはじめました。

とりわけ、哲学分野については、金沢ふるさと偉人館学芸員の増山仁さんによる概論を皮切りに、西田幾多郎記念哲学館研究員の中嶋優太さんと鈴木大拙館学芸員の猪谷聡さんには、西田幾多郎と鈴木大拙の著作の一節を丹念に読み込むことで、その思想に触れながら、生徒が自ら「考える」活動を体験できるよう工夫を凝らした講義・演習を行っていただきました。

加えて、中嶋さんの橋渡しにより、京都大学大学院文学研究科応用哲学・倫理学教育研究センター(CAPE)との連携が実現し、水谷雅彦教授、出口康夫教授、上原麻有子教授、や大西さん、服部さんをはじめとする大学院の皆さまのご指導により、「考える」楽しみ、それぞれが感じたことや意見・考えを他者とやりとりする楽しみを味わえる哲学対話を体験する機会をいただき、わずか数ヶ月のうちに、生徒が変容・成長するさまを目の当たりにすることができました。

今後とも、こうした取組により、何事も自分の頭で考え、思索することの魅力を味わうことをとおして、知的好奇心をふくらませ、学びつづける意欲、獲得した知識と経験を組み合わせて活用する柔軟な思考、他者と協働して問題解決や新たな価値を創造する力を育んでいきたいと思っています。

最後になりましたが、お世話になりましたCAPEの皆さまに感謝を申し上げるとともに、この連携事業がより一層発展していくことを心より願っております。

石川県立金沢二水高等学校
校長 藤井 直樹

 

 

「京都で学ぶ人文学」~京都大学と金沢二水高校の連携事業について~

石川県立金沢二水高等学校
教諭 岡島 清

本校は平成28年度から、強い体幹を備えた世界市民を育成することを目指し、地域のグローカルな課題を題材とした課題研究を、「総合的な学習の時間」を活用して実施することになった。初年度は、1年生がその準備段階の「体幹づくり」として、協働的な活動の手法を活用しながら、前半はキャリア教育、後半は研究機関と連携しながら、郷土が生んだ哲学や文学の基本的な研究を行い、探究活動の方法論を身に付けることとした。

その中の哲学分野の研究機関である、「西田幾多郎記念哲学館」との連携を模索する段階で、当館の中嶋優太研究員が京都大学のご出身であること、また西田幾多郎が京都大学で教鞭を執ったことが縁となり、中嶋研究員に橋渡しをして頂いて、京都大学CAPEと本校の連携事業が実現する運びとなった。

7月26日、京都大学から上原麻有子教授、出口康夫教授が来校され、本校の総合学習哲学分野の学習計画も視野に入れたうえで、今後の連携事業の方向性について打ち合わせを行った。この会合には中嶋研究員、鈴木大拙館から猪谷学芸員にも加わって頂いた。そこで、総合学習哲学分野の学習と並行して、1年生から希望者を募り、特別講座「京都で学ぶ人文学」を開講する。内容は、①本校で哲学対話を実施する ②鈴木大拙館や西田幾多郎記念哲学館を訪問し、学びを深める ③京都大学で哲学講義を受講し、哲学対話を行う等、事業の道筋が出来上がった。また、総合学習の哲学・文学分野のまとめの時間にも京都大学大学院生に参加・協力をお願いすることも決まった。

12月より総合学習哲学分野の学習が始まる中で、年末に特別講座「京都で学ぶ人文学」(4回シリーズ)の参加生徒を募ったところ、20名の生徒が集まり、準備を始めた。
1月28日(土)、第1回「哲学対話(二水編)」を本校会議室で実施した。京大大学院から服部圭祐さん、そして中嶋優太研究員をファシリテーターに迎え、「困難とはなにか」というテーマで、初めての哲学対話を行った。自分が経験した困難の事例、その何に困難を感じたのか、一般的に困難とはどのような状況か、の論点で話し合いが進められた。大学院生8名も助言者として輪に入り、サポートしてもらった。比較的グループワークに慣れている世代とはいえ、実施後の感想を読むと「考えていることがうまく表現できない。もっと積極的に参加すべきだった。でも他の人の考えを聞くのは楽しかった。」等の意見が多かった。最後に出口教授による総括があり、その中で「困難とは」のミニ講義がとても明快で、生徒の印象に残ったようである。

第2回と第3回は、二水高校独自の講座として、休日を活用して、20名で「鈴木大拙館」と「西田幾多郎記念哲学館」を訪問し、郷土が生んだ2人の哲学者の思想や人となりについて学んだ。特に後者では、西田の京都在住時の逸話を多く聞くことで、生徒は京都への思いを強くしたようである。中嶋研究員による二度目の哲学対話、「りゆうがあります」も行われた。絵本を題材に、「理由」について、対話のテーマ自体も参加者で決める、というもので、「認められる理由と認められない理由の境界は」というテーマに決めた生徒たちは、前回の反省を踏まえ、積極的に発言する姿がみられ、終了予定時間をオーバーして行った。

3月15日(水)、12月から1年総合学習で行ってきた「郷土の哲学・文学」のまとめの時間に、1クラス40名の生徒が4班に分かれ車座になり、1人が持ち時間90秒の中で、学び得たことを発表した。各クラスに京都大学から大学院生が1~2名入ってもらい、発表の様子を見てもらったうえで助言を頂いた。生徒にとって比較的身近な存在である大学院生の助言を、生徒たちは興味深く聞いていた。同日の放課後、「京都で学ぶ人文学」参加者が集まり、京都大学訪問の結団式を行った。上原教授からご挨拶を頂き、研究科の大西琢郎さんから日程の概要を伺った。

3月30日(木)、京都大学訪問の1日目。午後、京都市内の「ちおん舎」の2階座敷にて、水谷雅彦教授、大学院生を囲んで昼食を取り、和やかな雰囲気の中で前半の講座「京都の町屋で応用哲学する!」が始まった。事前に提出したコメントペーパーに基づいて、水谷教授に「寛容と信頼」について、ユーモアあふれるミニ講義をして頂き、生徒は緊張感が解け、笑いに包まれた。その後、「不寛容に対する寛容について」、「人間以外のものに対する信頼について」、「Halmとは」の3題で哲学対話が行われた。それぞれの話題が興味深く、生徒たちにとっては時間が短くて話し足りなかったという生徒が多かった。

3月31日(金)午前、西田幾多郎の退官記念講義が行われた縁の場所、京都大学楽友会館にて後半の講座「時代と人生を語る」が行われた。出口教授の「時間とライフヒストリー」についてのミニ講義は、大学生レベルのもので、高校1年生にはかなり難解ではあったが、逆に刺激となった。哲学対話は「死に向き合って、理想の生き方とは何か、またそのモデルを何かに例えるとしたら」をテーマとして行われた。生徒たちは一生懸命考えていたが、過ごした人生がまだ短い彼らは、なかなか難渋していたようである。最後、代表生徒が対話の結論について白板を使って説明した折、理想の生き方のモデルとして「森」のイメージを発表した生徒は、最後の総括で出口教授に取り上げてもらったことに感激していた。生徒たちは京都から無形のお土産を多く持ち帰ることができたようである。

最後に、この事業を行った3か月で、参加生徒は明らかに成長し変容している。最初の哲学対話で話すことすら無かった生徒が、拙いながらも一生懸命考え、考えを伝えている。このことを高校側もしっかり捉え、学校現場にフィードバックしなければならない。

この素晴らしい事業を準備し、運営して頂いた京都大学の皆様方、上原教授、出口教授、水谷教授、大西さん、服部さんをはじめ、大学院の皆様、また高大連携の橋渡しをして頂いた中嶋研究員には感謝を申し上げたい。事業を進める中で、当方にも多くの反省点があり、京都大学の皆様の期待に、我々また生徒たちが応えられなかった部分もあると思われる。それらを踏まえた上で、この事業がさらに継続して行われることを心から期待している。

 

生徒感想

1年 吉井 奈緒
私は今まで、哲学は難しく、自分とはあまり縁が無いものだと思っていた。しかし、今回の「京都で学ぶ人文学を通してその考えが大きく変わった。

一番印象に残っているのは、京都で行った「生き方のモデル」についての対話だ。私は人の心に残ったり感謝されたりする医者や先生だと思ったけれど、グループの人からは農家や伝統文化を受け継ぐ職人、旅人など自分では思いつかなかったモデルがたくさん出てきてとても面白かった。中でも私のグループから発表された大樹や森の生き方は一番なるほどと思った。私も大樹の森のようにいろんなことを吸収して周りと高め合いながら成長していくような生き方をしたいと思った。

他の対話では、「困難」や「信頼」「危害」などの言葉についても多くの意見が出て楽しかった。今まで使ってきた言葉の意味について掘り下げることがなかったし、深く考えたこともなかったけれど、対話をしたことで言葉について考えることはとても大切だと思った。

最初に「困難とは」について、対話したときはなかなか自分の意見が思いつかず、発言できなかった。しかしだんだんちゃんと自分の意見を持てるようになったと思う。またいろいろな人の考えを聞くことで、自分の考えの幅も広がったと感じた。
今回の活動を通して、哲学を身近に感じるようになった。これからも自分の意見をしっかり持っていきたいし、それを人に伝えられるようになりたい。

1年 松岡 洋佑
哲学を学び始めた最初の授業は、哲学というもの、そのもののこともあまりわからず、なんだかわからないまま時間だけが過ぎていって、歴史上の人物紹介のようにしか思われなかった。しかし、京都で学ぶ人文学「哲学カフェ」が終わった後、自分はとても充実した気持ちになり、一時間半が全く苦にならず、もっと話し合いたいと思っていた。いつもは全く考えないような、しかも答えがないようなことを深く、それでいて広い視野でどんどん考えていく楽しさにどっぷりはまった。

今思えば最初、哲学を難しく近寄りがたいと感じたのは、答えというゴールがないものに対して、深く考えることに慣れていなかっただけではないかと思う。少し慣れてしまえば考えることの楽しさがわかると思う。深く考えていくにあたって、今までわからなかった自分に出会うことができた。自分の価値観や考え方の方向性など、いつもはわからないようなことを、周りの人と比べて自分はここが同じでここが違うというように自分を認識するいい機会だったと思う。これを通して自分がどのようなものを好んでいて、どのようなことなら頑張って進んでいけるかがよりはっきりとわかるようになり、自分の理想の人生に向けて歩きやすくなったと思う。皆で哲学カフェをしていたときの、広い視野で深く考えていく方法はいろいろな可能性を見つけられるとてもいい考え方だと思う。この機会にこの考え方を身につけて、将来参加するであろう会議などに役立てていきたい。

最終日に考えた「理想の人生」について、自分はまだぼんやりとしている。他の班の人生もとても楽しそうだった。自分の班で出た、何か大切な存在を一つ持っていることが大事という考えがとても心に残っている。自分も大切なものを持てるようにがんばりたい。

1年 北村 彩乃
私が今回、この「京都で学ぶ人文学」に参加したのは、「総合的な学習の時間」の哲学の講義で哲学に興味が湧いたこともありましたが、もともと京都という場所が好きだったこともあり、京都に行きたいという軽率な気持ちが多くあったからでした。しかし、京都に行くまでの哲学対話などを通し、「哲学」を実際にやってみることで哲学自体ますます興味が湧き、実際に京都に行く頃には京都でどのような哲学を学ぶことができるのだろうという期待が大きくなっていました。

実際に京都へ行き、哲学対話を行ったときに、まず本格的な内容に驚きました。今までは哲学は漠然とした内容のことを漠然とした日本語で表し直すようなことをするものだと思っていました。しかし、今回の対話でサポートしてくださった京都大学の方が「じゃぁ具体例を出してみよう」と言われているのを聞いて、今まで小説家のような豊富な語彙がないとできないのではないかと思っていた哲学が一気に身近になったのを感じました。身近ではあるけれども、答えが一切なく、どこまでも深く追求できる哲学という学問は私が思っている以上に面白い学問なのだと気付かされました。この旅行は、私がもともと楽しみにしていた歴史や文化を感じることはもちろん、たったの二日間だったにもかかわらず大きな経験を積むことができた有意義な旅行だったと思います。この二日間で学んだことは将来に必ず役に立つと思います。今回「京都で学ぶ人文学」に参加して本当によかったと思います。